zabeblogのブログ

4度の流・死産の末、離婚したバツ2女の日常

京都

 その昔、私がまだ二十歳くらいの頃、ビッキーという名のアメリカ人から仲間が大勢いる前で「日本人のくせに歴史の詰まった京都に行ったこともないなんて信じられないほど退屈な人間ね、ダッサ。」等と盛大にディスられた。

 これに対し私も応戦し、「何をこのアバズレ」とか「シネ」とか、兎に角相手を不快にさせるようなワードを繰り出せればよかったのだけれど、そこは奥ゆかしきニッポン人、やっぱり周りの空気とか読んじゃって、悔しいけれど奥歯を噛み締めながら沈黙。というか、そもそも咄嗟に英語での卑語が思い浮かばない。どうにか頑張って捻り出しても、出てくるのはせいぜいアイハヴアペンみたいな戦闘にまるで役立たない言葉だらけだし。で結局、己の英語力のなさを呪いながら静かに敗北を喫した。

 老いた今となれば、そんなことを言われたところで「うるせぇよアメ公が」くらいにしか思わないし、もうBBAだから周りの目も気にせず「ファッキンジャップぐらい分かるよ馬鹿野郎」とか言えるのだけれど、当時は若く、視野も狭く、何より自意識過剰気味だったこともあって、大変なショックを受けた私は一気にダークサイドに落ちた。そして心に邪悪な復讐心を抱き、ならば彼奴を見返す為にも必ずや京都へ行き、きゃつが知らんような情報をかき集め、それを得意げに披露した上で「えーそんなことも知らないのぉ」等と思う存分馬鹿にしてやるのだ、くっくっくっ、今に見ておれ、、とくだらない誓いを立てた。

 しかし、復讐というのはいつの日もあまり思い通りにいかないもので。肝心のそのアメ公ビッキーがなんとその数ヶ月後にアメリカに帰ってしまい、挙げ句の果てにはメールを送ろうが、完全になしのつぶてとなってしまった。こうして怒りの矛先を失った私はすっかり拍子抜けし、戦意喪失。胸の中で大炎上していた京都熱もすぐに鎮火してしまった。

 それから年月が過ぎ、そんな昔のことなどすっかり忘れていた先月。京都へ行く機会に恵まれ、行って参りましたは花の都。

 三十三間堂清水寺、高大寺、金閣寺銀閣寺、、、。どれも本当に息を飲むほど美しく、素晴らしかった。誇り高く崇高で。。。と、その辺の感想も一カ所一カ所書こうかと思ったが、長ったらしくなるのでやめておく。


 まあそんなわけで、もう今となってはビッキーに伝えることはできないが、お前が言った言葉、今なら分かる気がするよ。日本に産まれて京都へ行かないのは確かに勿体ないな。

何より京都は飯もうまいしな!

リーズナブルで美味しい豆腐料理 豆八さん