zabeblogのブログ

4度の流・死産の末、離婚したバツ2女の日常

胎児水腫となって死産した話⑬

前回のお話

胎児水腫が発覚した翌日、私は朝イチで、出産予約を取り付けていた国立病院へ向かった。
一番に診てもらおうと、車で急いだものの、途中、渋滞にハマってしまい、結局病院に到着したのは9時5分だった。受付開始時刻が9時だから、たった5分遅れただけなのに、院内には既に多くの患者がごった返していた。

「すみません。紹介状があるのですが。」受付に声をかける。予約もせずにいったので、はじめは怪訝そうな顔をされたが、紹介状を見せ、病状を説明すると、受付の女性は、みるみるうちに神妙な面持ちとなって「わかりました」と言い残し、すぐにバックヤードに引っ込んでしまった。そして数分後、戻ってくるや、「どうぞこちらへ」と、いきなり診察室に通された。
どうやら緊急性が高いと判断されたようで、私より早く来て診察を待っている患者さんは山ほど居るのに、順番を無視して私を無理矢理ねじ込んでくれたらしい。
私は感謝の念と共に、診察室に入った。

「全身が浮腫んでますね。。。」少しだけ森本レオに似ている医師が、困惑した表情で述べた。
当たり前といえば当たり前だが、操の状態は昨日となんら変わりがなかった。
相変わらず心拍はあるのだが、浮腫過ぎて、ぼやけている。
内心、1日経てばほんの少しでも浮腫みが引いているのではないか、と期待していたのだが、やっぱりそう都合良く人生は巡らないし、奇跡だって易々とは起きてくれない。
私はこの上なく落胆した。

エコーで診ていた先生はというと、やっぱり困った顔をしながら 「うーん。あー・・・・・。そうだな・・・うーん。」 と声を捻り出した。明らかに何か言いたそうだったので、私は、これはもしや言い辛いことがある為、言葉を探している最中なのではなかろうか、と勘繰り、率直に「助かりますか?」と聞いてみた。
すると返ってきた答えはこうだった。
「このままだと、やがて心臓が止まってしまいます。そうしたら、なるべくすぐに出さないと母体にも影響が出てしまいます。なので、その場合は人工的に陣痛を起して出産という形で出します。」
なんだかまるで死んでしまうこと前提の話し方で、とても悲しかった。
だけど私はその話がどこか、まるで他人に起きている出来事のようで、すんなりとは受け入れられない。
(私は皆んなとは違うのよ。私ならば絶対にうまくいくハズ。だから死産なんてあり得ない。)あまりのショックで根拠のない自信を盲信せずにはいられなかったのだ。私は自分でも気付かぬうちに緩やかに狂っていた。
それ故、少しネジの緩んだ私は先生にしつこく尋ねてしまう。
「・・・・助かる可能性ってあるんですよね?どうすれば助かりますか?」
すると困った顔を更に困らせる先生。
「妊娠数週がまだ浅い時に発症してしまった場合、治療法はありません。」
「でもだからといって、助かる可能性はない、ことはないよ。」
「?!」
ただでさえ混乱している頭の中が先生の二重否定によって混沌と化す。
「この状態から浮腫みがひいていくこともあることは、ある。だけど、今この状態を見ただけでは何の判断もできないので、経過を追うしかない。まずは一週間後どうなっているか様子をみましょう。」
‐浮腫みがひいていくこともあることは、ある‐その言葉に私は少しだけ安心した。
絶望一色だったこの暗い深淵にも、まだ微かに希望の光は残されているらしい。

大丈夫だ、操。

心の奥で励ましながら私はモニターを見やる。
と、操が動いた。
左腕をすばやくぶんぶんと上下に振り、その後、全身をぶるぶると震わせながら天高く舞い上がったのだ。
私は思わずたじろいだ。
後に調べたところ、これは単に排尿している時の動き、らしいのだが、何の知識もないこの時の私は、今の奇妙な動作は浮腫みの影響なのだろうか、と恐怖した。

そんな風に私に見られているとも知らない操は、ジャンプの最高地点で回転を解くと、天使みたいにゆっくりふわふわ落ちて来て、元いた場所にぺたりと全身で着地した。
その愛らしい姿に、恐怖から一転、何だか可愛いな、と愛しさが込み上げて来た。
そこで私は、また動かないかしら?と目を凝らして操をじっと見つめ続ける。
がしかし、それから診察が終わるまで、再び動くことはなった。
気のせいか、どことなくぐったりしているようにも見えたので、私は必死でエールを送った。
(頑張れ操、生きろ、操。)
(もう奇妙な動きだって何だっていい、君の動いている姿を、元気な姿を見せておくれ。)

続く

続き

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