zabeblogのブログ

4度の流・死産の末、離婚したバツ2女の日常

胎児水腫となって死産した話⑫

前回のお話

紹介状

先生は「紹介状を書くからすぐに大きい病院で診てもらいなさい」そう言うと、診察を止め、それ以降私と目を合わせようとはしなかった。
側に居た看護婦さんが、残念そうな顔でこちらを見る。
「紹介状が出来たらまたお呼びするので。待合室でお待ちください。」
私は胸が詰まって「はい」と言う言葉すらでなかった。必死で涙を堪えながらお辞儀をし、診察室を出る。
そして震えながら待合室の席に座るとすぐさまスマホを指でなぞる。
<胎児 浮腫み 全身>
出てきたのは「胎児水腫」という聞きなれない言葉だった。
調べてみると、発生確率約0.02%とも言われる珍しい病気で、無事に出産できることが少なく、 出産できたとしても障害を持っていたり、病気にかかりやすかったりで、長くは生きられないという。

無事出産できることが少ない・・・?!
産まれても長くは生きられない・・・?!

さすがにここまでひどい病気にかかっているとは思わなかったので、唖然とした。
だが、この情報だけでは俄かに信じがたい。

(いやいや、大丈夫だ。きっと治る。助かるさ。)と、一縷の望みをかけて更に調べると、

妊娠24週より早い時期に胎児水腫を発症してしまった場合の赤ちゃんの死亡率は95%と極めて高く、回復は見込めません。

peachy

という記事が出てきた。

(死亡率95%・・・・。)

一気に奈落の底に突き落とされた。
諦めきれず、他の記事も調べてみたが、どれもこれも一律に「予後が良くない」と書かれてあった。
これにはさすがに目の前が真っ暗になり、頭の中で(なんで、どうして、うそでしょ)がグルグルと回る。

「紹介状できましたよ。」
気付くと背後に看護婦さんがいた。それすらわからぬほど、気が動転していた。

再度診察室へ案内される。

「共通診療ノートに書いておいたから、次に行く病院では紹介状代わりにこれを見せてね。」
「はい・・・・・。」
先生はデスクの方を向いたまま、依然としてこちらをチラリとも見ようとしなかったので、ついに見捨てられたのだ、と思った。
きっともう助からないから‐。

クリックでモザイク外れます

クリックでモザイク外れます

病院を出ると泣きながら夫に電話をかけた。このパターン、もう何回目になるだろう。
「全身が浮腫んでいて、もうダメかもしれない」と伝えると、夫は驚き、悲しそうにしてはいたが、私が余り気落ちしないようにと色々調べ、希望が持てるような記事を幾つか送ってくれた。
こういう時、夫はとても優しくて、何だかんだ愛されているな、と思う。だが嬉しさの反面、余計に辛くもなった。私の一番愛する人であり、愛してくれる人。その人の子供を産めないかもしれないのだから。申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

私は涙で視界を曇らせながら夫から送られてきた記事に目を通すと、その中に「14週頃に胎児水腫を発症したが、その後浮腫みがひき、無事健常児を出産できた」というブログ記事があった。
絶望一色の私にとってその記事はまさに希望の光だった。
そうだ、助かる可能性だってゼロではない。希望を捨てるには早すぎる。

それから眠りにつくまで、私は自分と操に言い聞かせた。

(大丈夫だ、絶対に。
きっと明日病院に行ったら浮腫みが幾分か消えていて、そのうち嘘のようになくなるさ。
それに今までも散々ダメだと思ったけど大丈夫だったじゃないか。
死亡率が95%ならば、私たちは生存した5%の方に入るだろう。
だから操、何も心配するな。大丈夫だ。操。生きろ。
君は私と一緒に生きるんだ。絶対に大丈夫。大丈夫だ。)

結局殆ど眠れぬまま、夜明けを迎えた。
景色が妙に白々しい朝だった。

続く

続き