胎児水腫となって死産した話⑯
儚い夢
国立病院での診察から2日後、夢に胎児が出てきた。
真っ暗闇の中、突然、私の顔前20cmほどの所に現れたのだ。
けれど、その子は皆が想像する一般的な胎児像とは違い、まるで怒ったタコみたいに、皮膚がはち切れそうなくらい浮腫んでいた。そのせいで小さなおめめは切り傷みたいに細くって、お口の方もぱんぱんに膨らんだほっぺに押されるかたちでヒヨコみたいにすぼまっていた。
その姿に私は最初こそギョッとしたが、すぐにその子が操であることに気が付いた。本能的な直感で。母親は自分の子どもをよその子と見分けられるそうだが、まさにそんな感じだった。
そして私は操を、もう一度まじまじと見てみる。つるりとしたまあるいお月さまのようなお顔におちょぼ口。まるで何かのキャラクターのようで、すごく可愛い。
たとえ我が子がいかなる姿であろうと、母親の目には愛らしい天使のように映る、というのはどうやら本当の話みたいだ。
愛しさが爆発する。
「操ちゃん、可愛いね。」嬉しくて、操に掛ける声が弾む。夢の中といえども遂に我が子との対面を果たせたのだ。これ以上幸せなことなんてない。
しかし操は、浮かれきった私とは対照的にじっと押し黙ったままだった。そして何かを訴えるように私を見つめてくる。その表情には微かに苦悶の色が滲んでいた。
「・・・・苦しいのね。」
この子はまだ喋れないので痛みや苦しみを伝える手段を持っていない。それが余計に悲しみを誘った。何とかしてあげたい。けれど、何をできるわけでもない。
「・・・・・・・。」
「ごめんね。でも、大丈夫。もう少しの辛抱だよ。」
結局私には、誰にでもできるような、うわべっぽい励まししかできないのだ。圧倒的な無力感に襲われる。
「・・・・・・・。」
「大丈夫。もうすぐ楽になるから。・・・・」
そう言った直後、私はしまった、と思った。
「楽になる」という意味合いは、病気が改善して苦しみが減る、という意味にもとれるが、天国へ行く、という真逆の意味にもとれてしまう。
非常に些細なことではあるが、万が一言霊になってしまったら。そう思うと、とても怖かった。操を天国に行かせてなるものか。
私は慌てて訂正した。
「えーと、その、楽になるっていうのは、病気が治って苦しくなくなるってことだからね。」
「・・・・・・・」
「だから、絶対すぐに浮腫みがひいて、楽になるから。もう少しだけ頑張ろうね。」
「・・・・・・・」
「元気になったらいっぱい遊ぼうよ。」
「・・・・・・・」
「・・・・操ちゃん、愛してるよ。」
「・・・・・・・」
視界がかすみ、現実世界に戻るあたりで、操がほんの少し微笑んだ気がした。
この時の夢はもしかしたら、操のお別れの挨拶だったのかもしれない。
ほんとうは「ママ、ばいばい」ってあの子は言いたかったのかもしれない。
泣いてばかりの私に「もうなかないで」って言いたかったのかもしれない。
全ては想像でしかないが。
ただ、何にせよ、操が私に会いに来てくれたことはとても嬉しかった。フロイト的には否定されそうだけど、あの夢は、私の無意識が見せたものなんかじゃなく、操そのものだったと思う。
君はママのことをちゃんと考えていてくれたんだね。
なのにごめんね。ママは何もしてあげられなくて。
産んであげられなくて本当にごめんね。