zabeblogのブログ

4度の流・死産の末、離婚したバツ2女の日常

胎児水腫となって死産した話⑮

前回のお話

都会の病院

「やっぱり浮腫んだままだった・・・・。心臓も小さくなってるって・・・ダメかもしれない・・・。」

泣きじゃくりながら夫に電話し、診察内容を報告すると、夫はすぐに仕事をほっぽって新幹線に飛び乗り、遠方からわざわざ会いに来てくれた。

「大丈夫か?」

開口一番に尋ねられるも、私は涙で喉がつかえて、軽く頷くことしかできない。脳裏では操の愛らしいジャンプ姿が何度もリフレインする。

なんで、どうしてあの子がー。

考えに浸りながら、ずっと俯いていると、ふいに左手に夫の右手が伸びて来て、重なった。驚いて顔を上げ、夫の顔を改めてよく見てみると、その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

「まだ完全に助かる可能性がなくなったわけじゃないだろ。きっと大丈夫だよ。
東京に胎児専門で診てくれるところがあるみたいだから、来週また同じ病院で診てもらって、もし何も変わらないようだったら、東京の病院に転院すればいい。」

夫によると、どうやら世田谷区に<国立成育医療研究センター>という病院があり、そこでは「胎児診療科」という、 その名の通り、胎児の診断や治療を得意とする専門の科があるそうだ。

「諦めるのは、東京の病院で診てもらってからだぞ。」

夫は少しポーカーフェイスなきらいがあって、こどものことなど、あまり考えていないように見えはするけども、内心はかなり心配しているようだった。その証拠に、夫はずっと、諦めもせずに操が助かる方法を探している。普通ならさじを投げるような状態なのに。私は、つくづく夫は純粋で優しい人なのだな、と思う。この人と一緒になれて、良かった。

「うん、東京の病院で診てもらえば大丈夫だよね。絶対、助かるよね。」
そう言いながら、私は涙を拭い、決意した。

何が何でもこの人の子を、守ってみせる、と。

それから毎日、お腹をそっと撫でながら、腹の内側に、すなわち操に向かって話しかけた。朝の「おはよう」から始まって、寝る時の「おやすみ」までの間、「今日はいい天気だね。」「操ちゃん、元気かな?」「大丈夫だよ。浮腫みなんてすぐに治るよ。」「悪い所を治して元気に出ておいで。」とかなんとかをひたすらに。

けれども、当然何の反応もない。お腹は、私の言葉にピクリともせず、いつものまんま。でもどこか妙に静まり返っているようにも思えた。故に大きな不安が過ぎる。

-ちゃんと心臓が動いているのだろうか?-ちゃんと元気でいるのだろうか?

こんな時、胎動を感じられたなら、少しは安心するのだろうけれど、私はまだ妊娠14~15週目で、これくらいの時期だと初産婦では胎動を感じとることができないらしい。早い人でも16週目くらいからなのだとか。

私はその事実を知ってもなお、めげずに話しかけた。

「操ちゃん、東京に良い病院があるらしいから、もうすぐ連れて行ってあげるからね。だからもう少しだけ頑張ろうね。」

その甲斐あってなのかはわからないが、後に私は不思議な体験をすることになるのである。

続く

続き