胎児水腫となって死産した話⑥
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「大丈夫そうだね。大きさも数週通り。」
前回の診察から一週間が経ち、胎芽も豆粒のようなものだったのが、見事人の形となった。
私は嬉しくて嬉しくて、穴が開くほどモニター越しの我が子を見つめ続けた。
すると先生が口を開く。
「実はね、最初の胎嚢が潰れた形だったから、ダメだと思ってたんだよ。」
「え?!!!」
↓これがその胎嚢
「そ、、、そうだったんですか、、、。(マジか・・・。)」
「でも、ここまでくれば流産の可能性はぐっと減ったから。もう大丈夫だよ。良かったね。」
「・・・ありがとうございます。」私は涙をこぼしながら、お礼を言った。
最初から生きられないかもしれないと言われていたこの子が、私に会おうと必死で生きている。
きっと私に思う存分甘えられる日を夢見て、頑張って大きくなっている。
それを思うと泣かずにはいられなかった。
「じゃあ書類渡すから、母子手帳もらってきてね。」
「はい!」
その時、私はようやく底なしの不安の中から抜け出せたのだ、と思った。
やっと大丈夫なのだ、と確信できた。
それからというもの、今までは、すれ違う赤ちゃん連れのお母さん達を、自分はそうなれないのではないか、と直視できなかったのだが、 もはやそんなことはどこ吹く風、なんなら赤ちゃんを見ながら妄想にふけった。
「早く抱きたいな。」
多分、この時期の私の顔は希望にあふれ、とても幸福そうな顔をしていたのだと思う。
君の名は
そして彼とも無事に籍を入れ、早くもこの子に名前を付けた。
「古風な名前がいい」というお互いの意見が一致し、尚且つ性別がどちらでも大丈夫なように「操(みさお)」と名付けた。
彼が提案した名前なのだが、私もすごく気に入った。
「操-」
私はこの子をその名で呼び、時々叱り、、、そんな風にしてずっと見守り続けていくのだろう。
考えるだけで目頭が熱くなる。
「いっぱい抱っこしてあげるからね、操ちゃん。」私は柔らかい表情でお腹に話しかけた。
-ねえ、操、この時の私の言葉は君にちゃんと届いていたかのな?-
続く